1984年に『前略、道の上より』でCDデビューした、男性路上パフォーマンス集団である一世風靡セピア。劇団一世風靡から派生したグループです。
スーツ姿で息の合ったダンスを披露する男性たちは、現代では薄れてきた『男』を感じられる方々ですよね。
とにかくかっこいい!
そんな一世風靡セピアはCDデビューから約40年たった今、元メンバーたちが2024年現在何をしているのか気になりますよね。
さらにメンバーとして認知されている勝俣州和は実はセピアではなく劇団員であり、一世風靡セピアでは付き人扱いだったんだとか!?
そこで今回は以下の内容をリサーチしてみました。
- 【一覧】一世風靡セピアのメンバーは俳優として活躍している人が多い?
- 勝俣州和は一世風靡セピアの付き人だった!
- 一世風靡セピアの解散理由は個人を尊重していたから
- 世間の声
ぜひ最後まで見ていってくださいね。
一世風靡セピアとは?
引用元:google画像検索
一世風靡セピアは1984年~1989年の約5年間活動した男性路上パフォーマンス集団です。
劇団一世風靡の先輩が「歌やりたいヤツ手挙げろ」と歌手として活動したい者を募ったところ、手を挙げた以下の7名で『一世風靡セピア』が結成されました。
- 小木茂光(おぎしげみつ)1961年11月28日 リーダー
- 哀川翔(あいかわしょう)1961年5月24日
- 柳葉敏郎(やなぎばとしろう)1961年1月3日
- 西村香景(にしむらかけい)1961年7月14日
- 春海四方(はるみしほう)1959年3月22日
- 松村冬風(まつむらふゆかぜ)1961年7月5日
旧メンバー(1985年4月に途中退団)
- 武野功雄(たけのいさお)1963年11月17日
現代も活躍する錚々たるメンバーですね!
『SHIBUYA』のツアーパンフレットにあった柳葉敏郎のコメントによると「それぞれの色を持った奴らを混ぜ合わせたらどんな色になるだろう」というのがセピアの由来なんだそうです。
この年代のひとたちは発言する言葉も男らしくてかっこいいですよね。
1984年4月25日、『今、我に正直に生きてみたい』でポスターデビューし、その後に音楽活動を開始します。
『前略、道の上より』は代表作といえるほど有名で『汚れちまった悲しみに…』などヒット曲を出しましたが、惜しまれながら1989年に解散します。
ストリートパフォーマーという言葉を全国的に広めるほどの影響力があったそうで、『前略、道の上より』もSUZUKIのスクーター『セピアZZ』のCMソングに起用されるなど人気もすごかったようです。
『NHK紅白歌合戦』からのオファーに無理な要求をしたことはファンの間で有名な話のようで、「劇男一世風靡として寸劇を披露している渋谷のNHK前広場からの生中継にしろ」といったんだとか。
しかし、あっさり制作側から拒否されたようです。
「当然ですよね(笑)」
7人中4人は紅白に出たくないと言い出なかったようですが、哀川翔さんは「あのとき、出て入ればよかった」と語っています。
後悔先に立たずですね。
個性の強い方が揃っていたようなので、言い出した手前後には引けなかったのかもしれません。
それにしても7人のパフォーマンスをする姿は本当にかっこいいです!
【一覧】一世風靡セピアのメンバーは俳優として活躍している人が多い
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一世風靡セピアのメンバーは現在俳優として活躍している方が多いのをご存じでしょうか?
人によっては「この人も元一世風靡セピアなの?」「俳優として有名になったんじゃないの?」と驚く方も多いはずです!
ビックリしているリアクションを見たいところですが!詳しく見ていきましょう。
小木茂光:俳優として活躍
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1人目は、小木茂光さんです。
いきなり「えっ!?」とリアクションを取った人も多いのではないでしょうか(笑)
実は小木茂光さんは、一世風靡セピアのメンバーであり、なんとリーダーだっだのです!
高校卒業後に福井県から上京し、男性パフォーマンスグループ『東京ビクトリークラブ』を哀川翔さん・松村冬風さん・風見しんごさんらと結成。
1982年に別の路上パフォーマンスグループ『芝居勢力』と合併して『劇団零心会』になりましたが、芸能プロダクションと契約するも衝突、脱退して『劇団一世風靡』として独立しました。
解散後、小木茂光さんは踊る大走査線シリーズなど含め、映画やドラマ・大河ドラマ、CMにと数えきれないほどの作品に出演している超大物俳優となりました。
踊る大捜査線では元メンバーの柳葉敏郎さんと共演していましたので、ファンからすれば胸アツですね。
近年でも『癒しのお隣さんには秘密がある』『THE DAY』など休むことなく映画やドラマに出演しています。
年齢を重ねても各方面にひっぱりだこですね!
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知らなかった人多いのではないでしょうか?私もその1人です(笑)
若い頃の小木茂光さんかっこいいですよね。今もいい具合に年をとって演技派であり渋い方です。
現在では知らない人はいないほど有名なトップ俳優ですね。
哀川翔:俳優として活動
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2人目は、Vシネマの帝王こと哀川翔さんです。
一世風靡セピアのメンバーとして一躍有名になった哀川翔さんは、1986年に『青の情景』でソロデビューも果たしました。
1988年に長渕剛さんからオファーを受け、テレビドラマ『とんぼ』に出演してからは、演技力を高く評価されてVシネマに多く出演するきっかけに。
1991年にVシネマ『獅子王たちの夏』で主演に抜擢されて以降、Vシネマで多くの作品で主演を務め、『Vシネマの帝王』と呼ばれるようになりました。
2023年は映画『春に散る』に出演されましたが、バラエティ番組、日本テレビ『踊る!さんま御殿!!』やBS、CS番組やラジオに出演することが多くなっています。
以前と比べてゴールデンの番組やメディアへの出演は減っているようで、ドラマや映画等にはあまり出演していないようですね。
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SNSを調べてみると哀川翔さんはカブトムシを育てるのが得意という情報が!
ギネス認定されたこともあるようなので、得意というレベルは超えているかもしれません。
映画『春に散る』の舞台挨拶でカブトムシについて
“胸熱な瞬間”を登壇者がフリップで発表しました。哀川さんは『生命の誕生』と書き、
「子供が生まれた時とか、孫の誕生とか。たまにカブトムシが生まれた時とか。生命の誕生はやっぱり熱くなりますよ、グっときますよね」
司会者から「今ちょうどカブトムシの時期ですよね」と話を振られると、会場からは笑い声が。哀川さんは
「もう卵産む頃ですから。毎年楽しんでいます」
哀川翔さんのカブトムシ愛は本物のようです(笑)
2024年には映画の公開を控えているようなので、俳優としての今後の活躍にも期待したいですね。
柳葉敏郎:俳優として活躍
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3人目は、柳葉敏郎さんです。
高校卒業後に劇団ひまわりへ入団、再現フィルムや映画・ドラマのエキストラとして活動し、1981年には連続テレビ小説『まんさくの花』で役者デビューします。
1982年にパフォーマンス集団『劇団一世風靡』のメンバーとなり、1984年には一世風靡セピアとして活躍しました。
1987年には映画『南へ走れ、海の道を!』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しています。
男女7人物語に出演するなど、トレンディドラマには欠かせない存在となりましたね。
1997年にドラマ『踊る大捜査線』にキャリア組のエリート管理官・室井慎次役として出演、シリーズ化も多くあり助演男優賞も受賞、自身の代表作となることに。
柳葉敏郎といえば室井慎次と連想しそうなほど。ものまね芸人から真似されることになりましたね(笑)
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以降もドラマや映画、CMやバラエティなどテレビで見ない時はないほど幅広く活躍しています。
2023年現在も映画『シャイロックの子供たち』ドラマ『ブギウギ』に出演するなど、コンスタントに出ていますね。
主要な役が減っていたことから干された?のような噂が出回っていましたが、しっかりと活躍してるようですね。
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若い頃の柳葉敏郎さんかっこいいですよね。
演技力も年齢を重ねるごとに磨きがかかり、さすがの柳葉敏郎さんです。
今後の俳優としての活躍にも期待ですね。
西村香景:死去
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4人目は西村香景さんです。
西村香景さんは、2023年2月25日早朝都内の自宅で死去しました。
西村香景さんは若くしてがんが見つかり、複数回手術を受けることに。
2年前から症状が悪化し入退院を繰り返していましたが、1年ほど前からは食事を取ることもままらなくなり、自宅療法に切り替えていたそうです。
病気のことは近しい人にしか教えておらず、一世風靡セピアのメンバーは知りませんでした。
最後は兄弟らが看取ったそうです。
西村香景さんは『劇団一世風靡』解散後、しばらくは芸能活動を続けていましたが、ほどなくして引退。
東京都港区の飲食店でマスターを務め、哀川翔さんたちもよく訪れていたそうですよ。
哀川翔さんはスポニチの取材に、
「本人は相当苦しかったと思うが、そんな顔やそぶりは一切見せなかった。よく踏ん張ったと思う」
引用元:スポニチ
突然の悲報にセピアメンバーもつらかったでしょうね。
西村香景さんは、パントマイムダンサーとして活動、ニューヨーク公演なども行っており、その後、劇団一世風靡に参加することに。
身体能力を活かしたバック宙やダンスパフォーマンスの中心を任されていましたね。
一世風靡セピア
西村香景さんゆっくりお休みください 😭
御冥福をお祈り致します 🙏🙏🙏#一世風靡セピア#西村香景 さん#御冥福をお祈り致します pic.twitter.com/5XLa8rvGeD
— 🏐テリー#51 ⚾右投右打🍌きりべぇ🥦ブロッコリー・ロマン🦀かにぱん漁業組合 (@kiribe24) February 28, 2023
引用元:X
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他にも多くの追悼ポストを多く見ました。
さまざまな人たちの心に残る、さらに人生に影響を与えた西村香景さんですね。心よりご冥福をお祈りいたします。
春海四方:俳優として活躍
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5人目は、春海四方さんです。
名脇役として有名な春海四方さんは、一世風靡セピアを解散したあと、基礎が出来ていないと感じていたようで、舞台の道へ進むことに。
映像作品はすぐに撮影に進みますが、舞台はみっちり1か月稽古をするそうです。
「いろんな方に助けてもらうことの連続でした。ボクは不器用なので、舞台でも映像でも最初は怒られてばっかりで、俳優をやめようかと、ひどくヘコんだことは何度もありました。でも、一生懸命やっていたら誰かが見ていて、次の仕事の声をかけてくれたんです」
引用元:日刊ゲンダイ
と春海四方さんは語っています。
そんな人生の選択がよかったのか、徐々に映画やドラマに出演する回数が増え、今では『名脇役』と呼ばれるほどに!
『やまとなでしこ』や『家政婦のミタゾノ』など誰もが知っている作品にも多く出演していますね。
引用元:X
引用元:
可愛いと表現されるところが春海四方さんの人柄を物語っている投稿ですね。
人と人とのつながりから仕事は広がっていくので、春海四方さんの人間性から仕事をいただいて、名脇役とよばれるほどたくさんの作品に出演するきかっけになったんですね。
松村冬風:引退
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6人目は、松村冬風さんです。
一世風靡セピアの解散後も映画やドラマにも出演され、俳優として活動されていましたが、2004年の『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』出演を最後に芸能活動をしていないようです。
2018年に発売した春海四方さんの『前略、昭和のバカどもっ!!』に、春海四方さんと小木茂光さんとの対談が収録されています。
それ以降、2024年現在は元メンバーも行方がわからないと言います。
一世風靡セピアのデビュー当時はシステムエンジニアとしてお仕事をされていたようなので、近い仕事に専念されているかもしれませんね。
実は元一世風靡セピアのメンバーでひそかに集まっているかもしれませんね。
武野功雄:俳優として活躍
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7人目は、武野功雄さんです。
武野功雄さんは一世風靡セピアとして解散する前に退団した唯一の方で、1985年4月に突然退団しています。
理由としては、もともとそば屋を経営しており、本業のそば屋に専念したかったためというものですが、劇団一世風靡にはそのまま在籍していました。
その後、経営が上手くいかなかったのか、もしくは俳優の世界が忘れられなかったのか、1987年に映画『ゴルフ夜明け前』に出演、以降は個性派俳優として活動しています。
現在そば屋は閉店しているようなので後者かも!?
2009年の『感染列島』や2012年の『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』など有名作品に数多く出演する武野功雄さん。
2024年現在は出演している作品がないようなので、今後の活躍に期待ですね。
勝俣は一世風靡セピアの付き人扱いだった!
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お笑いタレントとして有名な勝俣州和さん。
哀川翔さんと当時を振り返る話をよくバラエティ番組などでされていますよね。
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勝俣州和さんは一世風靡セピアのメンバーと思われている方おられるかもしれませんが、
実は、一世風靡セピアのメンバーではありません!
勝俣州和さんは一世風靡セピアがデビューした1年後に劇団一世風靡に入団します。
入団後は2年間ダンスレッスンに通い、ストリートパフォーマンスなどの活動をしており、そんな合間に哀川翔さんに毎日会いに行ったり、リハーサル中にプロレスをして遊んだりしていたんだとか。
勝俣州和さんの自身のYouTubeチャンネル『勝俣かっちゃんねる』でも当時の秘話を話していますが、柳葉敏郎さんでも「俺でも言わねぇぞそこまで」と言わせるほど哀川翔さんのことをズバズバ語っています。
かっちゃん言い過ぎ(笑)
よほど仲良くないと語れないですよね(笑)
劇団一世風靡にはいたものの、一世風靡セピアでは付き人扱いだったそうですよ。
当時から密に交流があった経緯もあり、今でも番組で共演するなど仲の良い一面が見られるんですね。
一世風靡セピアの解散理由は個人を尊重していたから
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1989年2月1日放送の『夜のヒットスタジオ』の生放送中に、メンバーが卒団宣言するという形で行われました。
人気は衰えるどころか上昇している中での解散だったので、なぜというかたも多いですよね。
もともと一世風靡セピアは個人の活動を尊重するスタンスをとっていて、形態にこだわりはありませんでした。
武野功雄さんが「そば屋に専念したい」と脱退する時もすんなり了承しています。
当時のメンバーも「いつまでも現在のメンバーがセピアだと思わないで欲しい。俺達はいつまでもこの形にこだわる気はない。」とハッキリ言っています。
男の中の男のセリフですね。
レコード会社と交わした契約書には「いつ解散しても可」という項目もあったんだとか!
よほど個人での活動を重要視していたんですね。
「絶対に売れる」という強い気持ちがあるからこそのスタンスだったのかもしれませんね。
世間の声
解散して30年以上経ちますが現在も祭りの音楽で使われるなど一世風靡セピア人気は落ちていませんね。
前略道の上からに関しては、聞いていると気持ちが元気になるといった声もありますね。
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まとめ
この記事の内容をまとめます。
- 一世風靡セピアのメンバーは現在も俳優として活躍している人が多いです。
- 勝俣州和はメンバーではなく一世風靡セピアの付き人同然だった。
- 一世風靡セピアの解散理由は個人を尊重していたから
一世風靡セピアのメンバーはグループとしての人気はもちろんのこと、個人としての解散後の活躍は目を見張るものがありますね。
小木茂光さんや春風四方さんは俳優としての成功しているので「えっ?一世風靡セピアのメンバーだったの?」なる方も多いのではないでしょうか
実は一世風靡セピアのメンバーなんですよ!
勝俣州和さんと哀川翔さんのやり取りを見ていると一世風靡セピアのメンバーと勘違いしている人もおられるのでは?
違いますよ。勝俣州和さんは劇団一世風靡のメンバーでありほぼ付き人同然ですよ!
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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