NHK連続テレビ小説『ブギウギ』のモデルとなった『ブギの女王』笠置シヅ子さんの娘、亀井ヱイ子さん。
父親はなんと、あの吉本興業の御曹司である吉本穎右さんなのだとか。
ご両親に可愛がられ、ご令嬢として箱入り娘のような暮らしをしていそうなものですが、実は違っていたようです。
ネットの検索結果が、『認知なし』や『私生児』など、なぜ?と首をかしげたくなるような気になるワードが散見されていました。
どんな人生を歩まれてきたのだろう…。
そこで今回は以下の内容をリサーチしてみました。
- 笠置シヅ子の娘は亀井ヱイ子
- 亀井ヱイ子は私生児だが、吉本興業創始者の直系子孫だった!
- 笠置シヅ子の壮絶な出産と子育て
- 世間の声
ぜひ最後まで見ていってくださいね。
笠置シヅ子の娘は亀井ヱイコ
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笠置シヅ子さんの娘は亀井ヱイ子さんです。
亀井ヱイ子さんはテレビなどメディアにはあまり出ておらず、一般人として生活しています。
最近のテレビ出演は2020年5月31日にBS朝日で放送された『ザ・偉人伝』にインタビューで出演されていました。
引用:X
亀井ヱイ子さんが出演されるのはよほど珍しいのでしょうね。
2023年には宝島社から出版された書籍『笠置シヅ子その言葉と人生』の監修をつとめられていました。
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亀井ヱイ子さんもNHK朝ドラ『ブギウギ』を、どんな気持ちで観ていたのか気になりますね。
亀井ヱイ子は私生児だが、吉本興業創始者の直系子孫だった!
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亀井ヱイ子さんは笠置シヅ子さんの娘ですが、実は父がかの有名な吉本興業の直系の子孫らしいのです。
そんなビッグな家系の娘なのに、検索してみると亀井ヱイ子さんは私生児という気になる情報の数々が!
なぜなのか、詳しくリサーチしてみましたので見ていきましょう。
亀井ヱイ子の父・吉本穎右とは?
亀井ヱイ子さんの父は、吉本穎右さんです。
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吉本穎右さんは、吉本興業創始者である吉本泰三(吉本吉兵衛)と吉本せい(林せい)さんの間に次男として生まれます。
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長男の吉本泰之助が若くして亡くなっていたことから、生まれたばかりの吉本穎右を、家督を相続させ戸主としていたようです。
吉本穎右が実質長男のようなものなので、今後を考えてのことでしょうね。
ちなみに亀井ヱイ子さんの”えい”は父親からいただいているようですね。
亀井ヱイ子が私生児として生まれた経緯
本来であれば、社長令嬢という立場で何不自由ない生活であったであろう亀井ヱイ子さん。
実は、吉本家には認知されておらず、血縁関係にないのだとか。
その理由として、亀井ヱイ子さんが生まれる前に、父親の吉本穎右さんが亡くなってしまったため、認知されず私生児となったようです。
まずは子供を認知して、そのあとに時間をかけて母親を説得してから結婚、という流れを2人は考えていました。
吉本穎右さんは、手紙でも「安心して赤ちゃんを産んでください。必ず自分の子として届けます」と伝えています。
しかし、吉本穎右さんが子供の顔を見ることなく亡くなってしまったため、認知することができなくなり私生児となりました。
認知されないだけでなく、父親に会うことができないというのは本当に悲しいことですよね。
笠置シヅ子の壮絶な出産と子育て
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子供を産む前に最愛の人を亡くされた笠置シヅ子さん、そして私生児となった亀井ヱイ子さん。
結婚してからの出産でなかったため出産前後、子育ても相当苦労されたようです。
- 妊娠中に旦那の死を知らされ、翌週に出産
- 身内がいない状態で出産
- 娘が病気でも仕事に駆り出されていた
- 娘を〇すという脅迫状が届く
「ドラマの話ですよね?」と言いたくなるほどの内容ばかりです。
それぞれ見ていきましょう。
妊娠中に旦那の死を知らされ、翌週に出産
笠置シヅ子さんは妊娠中であるにもかかわらず、思いがけない知らせを受けます。
それは、最愛の人である吉本穎右さんの訃報です。
生涯で最も忘れられない人の臨終に立ち会えず、知らせを受けた時は、全身がふるえて泣き崩れ、お腹の子まで息が止まってしまうのではないかというほどだったそうです。
そんな失意のどん底の中で、亀井ヱイ子さんは生まれました。
笠置シヅ子さんは、日記にも「なぜわが子をひと目でも見て行かれなかったのだろう」と書いています。
2人は戦中戦後の混乱期でしたので内縁関係のままでした。
生まれた子を認知してから籍を入れるつもりだったのに、病で倒れて果たせなかったのは、どれだけ心残りだったでしょう。
身内がいない状態で出産
笠置シヅ子さんにとって初めての出産なのに、付き添ってくれる身内が一人もいなかったそうです。
こんな心細い状況ないですよね。
ふと荷物の中に吉本穎右さんの浴衣があるのを思い出し、それを壁にかけると、少し気が楽になりました。
陣痛が始まると、浴衣を取りはずしてグッと抱きしめます。
とたんに彼の移り香が身体をつつみ、ひとりぼっちには感じなかったのだとか。
とても切ないエピソードですよね・・・。
空から吉本穎右さんも応援してくれていたと信じたいですね。
初産で心配していましたが、無事に亀井ヱイ子さんは生まれました。
娘が病気でも仕事に駆り出されていた
笠置シヅ子さんは、亀井ヱイ子さんが病気でも仕事をしていたようです。
幕間に楽屋へ走って帰り、亀井ヱイ子さんをあやし、ときには授乳をしてから舞台へ駆け戻る日々でした。
病気のときも、トリを変わってほしい、早く帰りたいと漏らす一方、決して仕事を休むことはなかったそうです。
仕事は厳しく、甘えてはダメという時代であり、なおかつ笠置シヅ子さんも人に甘える性格ではありませんでした。
未婚の母というのを感じさせない、苦労はさせないという思いもあったのか、懸命に生きる努力をされていたのでしょうね。
娘を〇すという脅迫状が届く
1954年(昭和29年)3月31日、笠置シヅ子さん宅に脅迫状が届きました。
匿名で、
『自分たちの結社に金が要るから、天神橋下に6万円を置け。さもなければ1人娘を〇す』
と書かれていたそうです。
警察には連絡していましたが、電話も含めて計9回の脅迫がありました。
警察の協力はあったとはいえ、いつ事件が起きるかと安心して生活できませんよね。
お金を受け取りに来た犯人を現行犯逮捕したことで、幸いにも誘拐未遂の恐喝事件として幕を閉じました。
本当に誘拐されていたかもしれないことを考えると恐ろしすぎます。
笠置シヅ子さんの頑張りもあり、お金の面では苦労してなかったかもしれません。
とはいえ、父親もいない、私生児として生まれるなど壮絶な人生を歩まれたのですね。
世間の声
ドラマ『ブギウギ』の放送があったので、誘拐や苦労されたという声が多数ありました。
亀井ヱイ子さんがどんなお気持ちで放送に関わっていたのか気になるという声が多いですよね
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まとめ
この記事の内容をまとめます。
- 笠置シヅ子の娘は亀井ヱイ子
- 亀井ヱイ子は私生児だが、吉本興業創始者吉本せいの孫だった!
- 笠置シヅ子は、旦那が亡くなりたった1人での出産、娘が病気でも仕事をし、脅迫状が届くというドラマのような壮絶な子育て
- 『ブギウギ』を亀井ヱイ子さんがどんな気持ちで関わっていたのか気になる声が多い。
終始ドラマのような壮絶な人生!
祝福されることなく、予期せぬ形で愛する吉本穎右さんを亡くし、私生児という形で出産した笠置シヅ子さん。
どんな気持ちで出産、子育てをしていたか想像もできません。
笠置シヅ子さんは高額納税者ランキングに載るほどでしたので、亀井ヱイ子さんには辛い想いはさせないよう必死だったのでしょうね。
父親なしのご令嬢と言葉にするのは簡単ですが、一言では語れないほどの壮絶な人生を歩まれた2人でしたね。
今後も亀井ヱイ子さんが、笑顔の絶えない幸せな生活をおくられることを望みます。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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