『暴れん坊将軍』や『極道の妻たち』での”極妻”ぶりが印象深い高島礼子さん。幅広く多彩な演技で高く評価を受け、日本アカデミー賞優秀助演女優賞にも選ばれたことがあります。
そんな高島礼子さんですが、現在は結婚されておらず、過去に一度の離婚歴があります。お相手は俳優の高知東生(たかち のぼる)さんでした。
『格差婚』と言われたお2人のことを調べているうちに、離婚された後も固い絆で結ばれていることが分かりました。特に、高島礼子さんが高知東生さんに深い愛情をいまだに持っていることに驚いたので、記事にしてみました。
この記事では高知東生さんにスポットライトを当てつつ、以下についてまとめています。
- 高知東生のプロフィール
- 高知東生と高島礼子のなれそめ
- 結婚エピソード
- 夫婦仲
- 離婚の経緯
- 離婚した後の関係性
- 高知東生の現在
- 世間の声
ぜひ最後までご覧ください。
高知東生のプロフィール
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高知東生さんは1964年12月22日生まれ。高知県の出身です。2024年現在で60歳になりますね。高島礼子さんとは同い年です。
高島礼子さんとご結婚されていたのは1999年から2016年の間でしたが、それ以前に元A〇女優のあいだももさんとの婚姻歴があります。A〇女優は男性芸能人からも人気が高いですから、それと結婚できたとなると高知東生さんは相当モテたのでしょうね。
高知東生さんの人生は俳優になってからと幼少期のどちらも濃すぎるので分けて紹介しますね。
俳優としての経歴
高知東生さんの俳優デビューは1993年。デビュー当時は「高知東急」(たかちのぼる)という名前でした。この名前には、芸能デビューが28歳と比較的遅く,“高知”県から“東”京に”急”いで登るという意味が込められていました。
後にこの名前が東急(東急電鉄)から、「高知県に東急グループがあると誤解を招く恐れがある」として芸名使用停止訴訟を受け、敗訴してしまいまいた。
その後、現在の『高知東生』名義に改名しました。「東京で生きる」という意味が込められているようです。
出演された作品で有名どころをあげると、
- NHK大河ドラマ『元禄繚乱』(1999年)
- 映画『新・仁義なき戦い/謀殺』(2003年)
- 結婚できない男(2006年)
- 『課長島耕作』(2008年)
などです。
(『結婚できない男」の高知東生さん。イケメン。)
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上記の作品は高知東生さんの実績のごくごく一部にすぎません。大量の映画やドラマに出演されていますので、出演作品のリストを観たい方は高知東生さんのwikipediaをご覧ください。
高知東生さんは2015年に俳優業の引退を発表して以来しばらく作品から姿を消していましたが、2020年にTwitter配信ドラマ『ミセス・ロスト〜インタベンショニスト・アヤメ』で俳優業に復帰されました。
実の両親は裏社会の人間?
高知東生さんの実の両親は極〇の方だとご本人が語っています。幼少期、高知東生さんは祖母と叔父夫婦に育てられ、実の両親はいないと言われていたそうです。
しかしある日、祖母から「あんたにとって大切なおばさんを紹介する」と告げられ、「知らないおばさん」を紹介されました。そのおばさんというのが実の母親だったのですが、どんな方かというと、
- 高知東生さんが祖母に連れられて家の外に出ると、真っ黒な車から日傘を(組員に)掲げられながら和服姿で登場。
- 他にも同じような車とスーツを着込んだ男性がずらり。
- 幼い高知東生さんに野球のグローブやスパイクなどを気前よく買い与えた。
など、いかにも〇道っぽい気配の方でした。高知東生さんはその後、この実母と暮らし始め、最初は嬉しかったそうです。しかし、実母は毎晩酒を飲んで酔っ払って帰ってくるような生活だったらしく、だんだん嫌いになっていったんだとか。そして最終的に、この実母は自〇してしまいます。
また、実の父親のことも後年明らかになるのですが、暴〇団関係者で他県で大親分をしていた人物だったようです。高知東生さんはそれを知った時、実の父親に怒りをぶつけるために会いに行ったそうですが、その父親が自分と同じぐらいの年齢の息子と幸せそうに過ごす光景を見てしまい、何も言う気がなくなって引き返したそうです。
まるで漫画みたいな話ですよね・・・。
なれそめ
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高島礼子さんと高知東生さんは知人の紹介で知り合いました。2人が32歳の頃ですね。なんでもお2人の共通の知人が、「お酒好きな2人なら意気投合するかも」と思って、交際に発展することを見越して会わせたのだとか。
知人の目論見(?)どおり、2人は交際を開始。個人的には、お2人にはお酒好きという以外にも共通点があると思っていて、
- 若いころに母親を亡くしている
- 若い頃に荒れていた時期がある
- 幼少期に壮絶な体験をしている
- 女優・俳優である
などですね。高島礼子さんは昔、レディース(女性版の暴走族のようなもの)だったとの噂があります。また、20歳の頃に母親をがんで亡くしています。しかも、母親を亡くされた後は厳格な父との2人で暮らしていたようで、かなりつらかったみたいですね。
こういった生い立ちの共通点が、2人が進行を急速に深めていった理由なのかもしれません。
壮絶な生い立ちを持つ2人ですが、デートはいたって普通だったようです。例えば、高知東生さんが野球部で甲子園を目指していたこともあり、母校である明徳義塾高校が甲子園に出場した時には、2人で甲子園の試合を観戦しに行ったのだとか。
なんだか、女優・俳優のカップルとはおもえない、ほのぼのしたエピソードですよね。
結婚エピソードと高知東生の苦悩
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お2人は1998年10月に婚約を発表し、翌年2月にハワイのオワフ島で挙式をされています。交際を始めてから2年5ヶ月後ですね。
結婚当時、高島礼子さんは『極道の妻たち』への出演で、女優としての地位を固めていました。一方の高知東生さんはまだまだ無名の俳優でした。そのため世間は2人の結婚を『格差婚』と呼びました。
“あの高島礼子を妻にした男”として高知東生の名前は全国に知れ渡りましたが、一方で世間からは“打算的な結婚だ!”と叩かれました。そのことから、人知れず苦悩をかかえていたようです。
本人によると、
- 世間から“ヒモ夫”のような扱い方をされるのが悔しくて、それがストレスになっていた。
- 肩の力を抜いて、自分らしく生きればよかったと思う。
- しかし、それができなかった。
と後のインタビューで語っていました。当時はまだ2000年代に入る前ですから、SNSもなく、世の中の関心がテレビに集中している時代です。そんな中で、高知東生さんが感じていた苦しみは相当なものだったのでしょうね。
離婚しても同志
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2016年6月。高知東生さんは愛人とホテルにいるところを、覚せい剤取締法違反と大麻取締法違反の容疑で逮捕され、懲役2年、執行猶予4年の判決を受けました。このことが、高島礼子さんとの離婚原因になりました。
高知東生さんは壮絶な生い立ちから、地元の高知県で生きるのが苦しくなり、21歳の時に全財産6万円を握りしめて上京。はじめは代々木公園で野宿していましたが、縁あってA〇プロダクションでスカウトマンをしたり、ホストクラブやショーパブで働くようになりました。
そんな生活の中、夜の街で出会う派手な生活を謳歌している経営者に出会うことがたびたびあり、しだいに“自分も成り上がりたい”とおもうようになったようです。
薬物に手を染めたきっかけも、憧れの経営者たちがカジュアルに薬物を使っていたせいで、自分も抵抗なく受け入れてしまったことが原因だそうです。当時は“相当価値観がずれていた”と自分で言っていました。
ちなみに愛人を作ったのも、周りの既婚の経営者達が可愛い愛人を連れていたのに憧れたからみたいですね。
結局、その不倫相手の女性と薬物に溺れていき、“人生がおわる”と分かっていてもやめられなかったようです。逮捕された時には、どこかホッとする気持ちがあったとのことで、麻薬取締官に「逮捕してくれて、ありがとうございました。」と言ったことが報道されています。本人は「これで薬物がやめられる」と思い、本心から言ったみたいですね。
高島礼子の変わらぬ愛
高島礼子さんと高知東生さんは、離婚後一度も会っていません。それでも、高島礼子さんは高知東生さんのことをとても大切に思っているようです。高知東生さんが逮捕された際、高島礼子さんは会見を開き、
- まだ気持ちの整理がついていない。今は妻として責任はある。気付かなかったとか、知らなかったとか言うことじゃない。
- 妻としての責任と、彼が更生して人生をやり直していくか見極めたい
と発言しています。また、ファンへのメッセージを求められると、
- 皆さんのためにもしっかりと向き合って乗り越えたい。
- ファンを裏切らないように悲しませないように大人の判断をしたい
とコメントしています。
個人的には、高島礼子さんは高知東生さんと離婚まではしたくなかったんじゃないのかな、と思います。彼女のコメントを聞いても、”お世話になった周りの人やファンを悲しませるわけにはいかない”との思いがにじみ出ていて、高知東生さんのことを嫌いになったわけではないような印象を受けました。
また、高島礼子さんは高知東生さんのことを「同志、親友のような気持ちでいた」と語っています。そしてなんと、彼が逮捕されてから一年後も、彼の面倒を見ていたというのです。例えば、
- 高知東生さんの保釈金や弁護士費用を負担
- 高知東生の生活費の一部や、高知東生が経営するエステ店を金銭的に援助。
- 都内の一等地に高知東生の経営するエステ店の二号店がオープン。その店舗費用も一部負担
- 友人に、「あの人は私がいないとダメ。私が最後まで面倒をみる。」と発言
不倫された上に薬物で捕まった夫のことをまだ気にかけていた高島礼子さん。まるで仏様のような心の持ち主だという声もあります。
引用:Twitter
このことから、高島礼子さんは離婚に前向きではなかったものの、“大人の判断”で離婚を決断したようです。離婚届は高知東生さんが拘置所にいる時に送られました。判をついたときの高知東生さんもさぞ辛かったでしょうね。
2人の間にこどもができなかったわけは?
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2人の間に子供はいません。といっても子供を望まなかったわけではなく、望んだが妊娠できなかったようです。
高島礼子さんは子供が欲しくて”葉酸”を飲んだり仕事をセーブしたりもしたそうですが、それでもできなかったようですね。高知東生さんは子供ができないことに対して、「子供はいなくてもいいんとちゃう?」と気遣いを見せていたそうですが、高島礼子さん本人は、妊娠できなかったことが感情的なしこりとして残っていたみたいです。
半ば冗談気味に、「あなた(高知東生)も男だったら子供が欲しいでしょ。だから60歳になったら外で子供作ってもいいよ。」と言ったことがあるのだとか。これは冗談とはいえ、相当覚悟して言ったんじゃないでしょうか。
子供ができなかった理由としては、高島礼子さんが妊娠しにくい体質だった可能性はもちろんありますが、高知東生さんの問題もあるかもしれません。なにせ、20歳の頃から薬物を使用していましたから、生殖機能に問題が出てもおかしくありません。
まぁ結局離婚してしまったので、子供はできなくても結果オーライだったと思います。
高島礼子の再婚はありえる?
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高島礼子さんの再婚の可能性は低いです。
離婚から約2年後の2018年12月。バラエティ番組『踊る!さんま御殿!!』に高島礼子さんが出演し、明石家さんまから再婚について聞かれると、「あればと思いますけれど現在は考えていない」とコメントしています。
さらにその2年後の2020年5月に出演したラジオ番組『銀座ロイヤルサロン』では、自身の独身生活について『1人になってさびしい』としながらも、
(1人暮らしで寂しいので)友達関係を増やしているが、様々な情報と、友情が芽生えて今すごく楽しい
と語っていました。年齢も60歳手前ですし、趣味や友人との関係が楽しければ、わざわざ再婚に踏み切ろうとまではしなさそうです。
高知東生の現在
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現在の高知東生さんは、依存症の正しい知識などを伝える「依存症予防教育アドバイザー」の資格を取得し、全国で講演活動を行っています。また、令和2年5月には、依存症を題材にした会員制交流サイト(SNS)配信のドラマで俳優への復帰を果たしています。順調に社会復帰をされているようですね。
また、『生き直す 私は一人ではない』というタイトルの自叙伝も出版されました。
ただし、薬物依存が完全に抜けたわけではなく、今も立ち直りの途中のようで、今も薬物を使用していたころの夢を見るそうです。
引用:Twitter
世間の声
高知東生さんと高島礼子さんに対しての世間の声ですが、筆者が思っていたよりも肯定的な意見がはるかに多く、高島礼子さんはもちろん高知東生さんにも前向きなコメントが多数ありました。
引用:Twitter
引用:Twitter
引用:Twitter
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まとめ
この記事の内容をまとめます。
- 高島礼子の元旦那・高知東生は元俳優。
- 高知東生の実の両親は裏社会の人間
- 高島礼子と高知東生は生い立ちの共通点から中を深めていった可能性がある
- 高知東生は薬物使用で逮捕歴あり。現在は『脱依存予防協力アドバイザー』として活躍している。
- 高島礼子は高知東生を同志のように思っており、とても深い愛情を抱いている。
壮絶な人生経験を経て、離婚後も強い絆で結ばれている高島礼子さんと高知東生さん。いずれお2人が再開して、ファンの前で対談をされる日がくるかもしれません。それぞれの道でこれからも頑張って欲しいです。
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